これまで伝わる言葉というか、整った言葉を使おうとしていたと思う。
でも、ちゃんと整った言葉が伝わるとは限らない。
それはちゃんと整った身体が健康とは限らないのと同じだと思う。
このことを考えるといつも思い出すのは
サッカーのレアル・マドリードで活躍したロベルト・カルロスのことだ。
彼は利き足である左足が以上にでかい。
右足と左足で相当大きさが違ったと記憶している。
どうも整体というと骨盤の歪みを氣にする人が多い。
もちろん骨盤の歪みがいろいろ影響はします。
けど、それと健康であるということは関係ないな、と思う。
ロベカルはおそらく歪んでますよ。それも相当。
昔の職人さんなんかはその職に合った体つきをしていたそうだ。
その身体こそがその人自身なのではないかと思う。
だから歪んでたらいい、というわけではない。
けど歪みを氣にしすぎて、とらわれてしまうのはちょっと違うと思う。
もったいない、という感じかな。
もしかしたら生きにくいかもしれない、整っていないかもしれない身体
それこそが自分自身であると言えるといいと思う。
その上で変えたいなら変えればいい。
完璧に整ったものを求めてずっとそこに焦点が当たっていること
というのは健康なことなんですかね。
2016年4月13日水曜日
2016年4月12日火曜日
違和感
ブログも3年続けていると今までの文体で
”伝える”ということを意識して書いていくことに
違和感が出はじめて少し不自由になってきたので
ちょっとずつ変えられたらいいなと思っています。
また戻るかもしれませんが。
整体を始めてからというもの、
今までにいなかったとても良い友人たちに囲まれて
その場にいるだけでいいなぁと思えることも増えて幸せなわけですが、
その反面というか、少し目を違う方向にむけると
なかなかうまくめぐってないなと思う人も多いわけです。
意外と、今普通に生活している人たちよりも、
ある程度自分の違和感なり不安感を感じて動けていない、
あるいはその本人の中では人よりもマイナスと感じているかもしれない人の方が
この先何かをきっかけにして動き出したときに
より自由に、その人らしい活動なり生活なりができるのではないかとも感じます。
ただ怖いのは動かないと動けなくなることがあるということです。
できれば動き続けるといいと思います。
もう一つは、動きたいときに動けるように、
身体の整備はしておいた方がいいです。
身体さんが動けないと自分のやりたいことが
実現できないですからね。
”伝える”ということを意識して書いていくことに
違和感が出はじめて少し不自由になってきたので
ちょっとずつ変えられたらいいなと思っています。
また戻るかもしれませんが。
整体を始めてからというもの、
今までにいなかったとても良い友人たちに囲まれて
その場にいるだけでいいなぁと思えることも増えて幸せなわけですが、
その反面というか、少し目を違う方向にむけると
なかなかうまくめぐってないなと思う人も多いわけです。
意外と、今普通に生活している人たちよりも、
ある程度自分の違和感なり不安感を感じて動けていない、
あるいはその本人の中では人よりもマイナスと感じているかもしれない人の方が
この先何かをきっかけにして動き出したときに
より自由に、その人らしい活動なり生活なりができるのではないかとも感じます。
ただ怖いのは動かないと動けなくなることがあるということです。
できれば動き続けるといいと思います。
もう一つは、動きたいときに動けるように、
身体の整備はしておいた方がいいです。
身体さんが動けないと自分のやりたいことが
実現できないですからね。
2016年4月10日日曜日
運命の流れと後悔
人生には流れというものがあると思う。
例えば大きな病をしたとき、何を拠り所にして、どんな方法で乗り切るのか。
西洋医学に頼るのか、代替療法を選ぶのか、
代替療法に頼りたいけれどその余裕がない場合もあると思う。
自分の意思、周囲の意見、医者の見解、メディアからの情報、
様々な経験と知識、様々な角度からの思い。。。
そうしたいろいろなものが混ざってくると、
どうしたらいいのかわからなくなると思う。
そして、医療に限らずそんな話を最近立て続けに聞く。
そんなとき僕は”流れ”でものごとを選ぶ。
何をしたってうまくいくときはうまくいくし、ダメな時もある。
おそらく、自分に向けられた思いや意見は
すべてその人のためを考えた、思いを持ったものだと思う。
けど、逆に迷っちゃうこともあるよね。
全部が全部、”善”から来たものなのだから、
受け止めたいし無下にもできない。
なにが怖いかというと、やはり自分で決めなかったことと
うまくいかないことが重なった時に人のせいにすること。
後悔をしてしまうことだと思う。
少なくとも、自分が向かっていく方向を自分で決めたのだから
どんな結論になっても後悔はしていない、そう言いたい。
自分がどんな流れの中にいるのか、ということは、
後悔をしないための一つの拠り所になるのではないかと思う。
例えば大きな病をしたとき、何を拠り所にして、どんな方法で乗り切るのか。
西洋医学に頼るのか、代替療法を選ぶのか、
代替療法に頼りたいけれどその余裕がない場合もあると思う。
自分の意思、周囲の意見、医者の見解、メディアからの情報、
様々な経験と知識、様々な角度からの思い。。。
そうしたいろいろなものが混ざってくると、
どうしたらいいのかわからなくなると思う。
そして、医療に限らずそんな話を最近立て続けに聞く。
そんなとき僕は”流れ”でものごとを選ぶ。
何をしたってうまくいくときはうまくいくし、ダメな時もある。
おそらく、自分に向けられた思いや意見は
すべてその人のためを考えた、思いを持ったものだと思う。
けど、逆に迷っちゃうこともあるよね。
全部が全部、”善”から来たものなのだから、
受け止めたいし無下にもできない。
なにが怖いかというと、やはり自分で決めなかったことと
うまくいかないことが重なった時に人のせいにすること。
後悔をしてしまうことだと思う。
少なくとも、自分が向かっていく方向を自分で決めたのだから
どんな結論になっても後悔はしていない、そう言いたい。
自分がどんな流れの中にいるのか、ということは、
後悔をしないための一つの拠り所になるのではないかと思う。
2016年4月6日水曜日
自分の仕事
施術をしていると、溜まっているいろいろなものが出てきます。
汗を大量にかいたり、鼻がでたり、
お腹が鳴りだしたり、熱が出たり。
涙を流す人もいますし、施術後にすごくお話をしてくれる人もいます。
身体がためていたものが出てくるときに
その方のいろいろな部分を見せていただいています。
もしかしたら、ご本人が”弱さ”だと思っていることもあるのかもしれない。
うまくは言えないのですが、
その出てきたものを、”ただ認める”ということが自分の仕事のような氣がしています。
汗を大量にかいたり、鼻がでたり、
お腹が鳴りだしたり、熱が出たり。
涙を流す人もいますし、施術後にすごくお話をしてくれる人もいます。
身体がためていたものが出てくるときに
その方のいろいろな部分を見せていただいています。
もしかしたら、ご本人が”弱さ”だと思っていることもあるのかもしれない。
うまくは言えないのですが、
その出てきたものを、”ただ認める”ということが自分の仕事のような氣がしています。
2016年4月5日火曜日
西洋医学
西洋医学には頼らない!という方がいらっしゃいます。
薬を絶対に飲みたくない、とかね。
手術はしない、とかね。
特に僕は東洋医学ベースで身体のことを考えるので
そういうお話をしてくださる方もおられます。
けど、僕の考え方は”西洋医学でも東洋医学でも頼れるときは頼ればいい”です。
結局一番良くないのは”依存してしまうこと”だと思っています。
僕が薬を飲むことが怖いなと思うことは、
(極端に言うと)薬がないと生きていけないと思ってしまうことです。
重要なことは、
”(身体のことにとらわれずに)自分の今を十分に生きられるか”
ということだと思っています。
なので、痛みなど不調がある場合、何に頼るのが一番いいのか考えて
薬や手術が適切ならそれでいいと思います。
薬や手術はそこから抜け出しにくそうなことが問題ではある氣はしますが。
誰かが治してくれるとか、誰かがなんとかしてくれると
自分の身体の責任を人に預けてしまうのなら
それは古今東西の医療、医術、療法を問わず
同じ問題を持ったことなのではないかと思います。
薬を絶対に飲みたくない、とかね。
手術はしない、とかね。
特に僕は東洋医学ベースで身体のことを考えるので
そういうお話をしてくださる方もおられます。
けど、僕の考え方は”西洋医学でも東洋医学でも頼れるときは頼ればいい”です。
結局一番良くないのは”依存してしまうこと”だと思っています。
僕が薬を飲むことが怖いなと思うことは、
(極端に言うと)薬がないと生きていけないと思ってしまうことです。
重要なことは、
”(身体のことにとらわれずに)自分の今を十分に生きられるか”
ということだと思っています。
なので、痛みなど不調がある場合、何に頼るのが一番いいのか考えて
薬や手術が適切ならそれでいいと思います。
薬や手術はそこから抜け出しにくそうなことが問題ではある氣はしますが。
誰かが治してくれるとか、誰かがなんとかしてくれると
自分の身体の責任を人に預けてしまうのなら
それは古今東西の医療、医術、療法を問わず
同じ問題を持ったことなのではないかと思います。
2016年3月8日火曜日
料金制度についての葛藤
※自由料金としていましたが、
実際にやってみると難しさがやはりあります。
利用しにくいということにもつながるなぁと思いましたので
あらためて料金を設定しています。
自分が続けていくためにも、というのもあります。
思っていることは以前書いた下記のとおり。
ご相談はいつでも歓迎です。
よろしくお願いいたします。
********************************************
現在、料金を自由料金制としています。
これは来ていただいた方と僕とで料金の相談をしようという制度です。
→料金
本当に来てくれる人のことを考えると
この自由料金制が一番いいのではないかと
個人的に思っています。
続けて来たいと思ってもお金のことが氣になる、
一度試してみたいけど金額が高い、
続けて来てくださいと言われたら断れない など
氣になることはあると思います。
しんどい、受けたいと思ってもそこが氣になるぐらいなら、
来てもらって相談してほしいと思っています。
まず、そういう思いがあります。
なので、今までも少し安いかなという金額設定をしていました。
値上げをしようかと思ったこともあるのですが、
やはりお金の心配をされて必要な人に手当てもできないのであれば
それは自分の中でやっている意味がありません。
そこで自由料金制ということにしました。
お金についての考え方は以前ブログに書いていますので
こちらをご覧いただければと思います→お金について
一部抜粋
**********************************************************
お金も野菜と同じように、余分に持っている人が分けてくれると言ったら
ありがたくいただけるようにしよう。
...
あなたからいただいたお金があるから、
他の人に施術を続けられます、そう言える。
**********************************************************
あくまでも僕を見つけて来ていただいた方にいい状態になってもらえるように。
そうなることが僕のやっている意味であると思っています。
例えば二千円でできますか、とか
続けたいけどお金が心配ですとか相談をいただけたら
症状しだいでこちらからも、じゃあと提案ができるのではないかと思います。
そんな風に話をできればいいなと思います。
実際にやってみると難しさがやはりあります。
利用しにくいということにもつながるなぁと思いましたので
あらためて料金を設定しています。
自分が続けていくためにも、というのもあります。
思っていることは以前書いた下記のとおり。
ご相談はいつでも歓迎です。
よろしくお願いいたします。
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現在、料金を自由料金制としています。
これは来ていただいた方と僕とで料金の相談をしようという制度です。
→料金
本当に来てくれる人のことを考えると
この自由料金制が一番いいのではないかと
個人的に思っています。
続けて来たいと思ってもお金のことが氣になる、
一度試してみたいけど金額が高い、
続けて来てくださいと言われたら断れない など
氣になることはあると思います。
しんどい、受けたいと思ってもそこが氣になるぐらいなら、
来てもらって相談してほしいと思っています。
まず、そういう思いがあります。
なので、今までも少し安いかなという金額設定をしていました。
値上げをしようかと思ったこともあるのですが、
やはりお金の心配をされて必要な人に手当てもできないのであれば
それは自分の中でやっている意味がありません。
そこで自由料金制ということにしました。
お金についての考え方は以前ブログに書いていますので
こちらをご覧いただければと思います→お金について
一部抜粋
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お金も野菜と同じように、余分に持っている人が分けてくれると言ったら
ありがたくいただけるようにしよう。
...
あなたからいただいたお金があるから、
他の人に施術を続けられます、そう言える。
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あくまでも僕を見つけて来ていただいた方にいい状態になってもらえるように。
そうなることが僕のやっている意味であると思っています。
例えば二千円でできますか、とか
続けたいけどお金が心配ですとか相談をいただけたら
症状しだいでこちらからも、じゃあと提案ができるのではないかと思います。
そんな風に話をできればいいなと思います。
2016年3月7日月曜日
治したいとは思わない
”施術を受ける”ということに関して、
人によっては、というか当然のこととして
それは”治してもらう”と考えて受ける方が多いと思いますが、
僕はごく自然に、”治したいと思いません”。
僕は、基本的にその人を”変えたい”と思っていません。
人によっては、というか当然のこととして
それは”治してもらう”と考えて受ける方が多いと思いますが、
僕はごく自然に、”治したいと思いません”。
僕は、基本的にその人を”変えたい”と思っていません。
その人が良いように”変わる”ようにと思って手を当てています。
あくまでも僕は”治したい”とは思っていなくて、
その人自身の身体が勝手に良い状態になってくれるように
身体に働きかけているつもりです。
なので、”治す”ために施術をうけるんだという方には向かないかもしれません。
ですので「僕が」「あなたに」「変わることを」期待して
手を当てていきたいと思います。
手を当てていきたいと思います。
そうすると、無理やり「変える」のではないので、身体のペースで変化が起こるし、
その分身体へのダメージ(揉み返しとか)が少ないのだと思います。
そうやって、できるだけ自分の治癒力を使って身体を回復させることが
今後のためにつながることだと思いますし、
それが一番その人のためになることだと思います。
とは言え、ぎっくり腰のときとかも人は来ますし、
レイキで相当良くなって帰っていかれるかたもいらっしゃいます。
けど、そんなときも少しだけ痛みが残ってたりするんですよねー。
最後は自分で治せ、ということなのかなと
自分の施術ながら人ごとのように思っています。
やさしさー
それが一番その人のためになることだと思います。
とは言え、ぎっくり腰のときとかも人は来ますし、
レイキで相当良くなって帰っていかれるかたもいらっしゃいます。
けど、そんなときも少しだけ痛みが残ってたりするんですよねー。
最後は自分で治せ、ということなのかなと
自分の施術ながら人ごとのように思っています。
やさしさー
2016年3月6日日曜日
本当のやさしさ
今の施術について、
******************************************
来てくれる人がからだのことにとらわれず、
本当に自分のやりたいことに向かっていけるように。
今止まっている人は動き出せるように。
動けている人は動きを止めないように。
またよりよく動けるように。
その手助けの一つとなり得ればと考えています。
******************************************
と書いています。
その人が、今いきやすいようになればと思っていますが、
たまに、ごくたまに、手を当てたくないなと思う人がいます。
これは書くのが非常に勇気がいりますが、
正直に、しょーじきに言ってしまうと
その人の身体のことを思ったら
いっそのこと倒れる方が(本人のためかどうかは置いておいて)
身体のためではないかと思うときです。
身体が動かないようにしているなら、
それは「休んでくれ」と言っているサインだと思います。
もちろん、この日を乗り越えたいとか、
動かないと仕方がないということもあると思います。
そんなときは精一杯手当をさせてもらいます。
けど、変にいじって動けるようになったから、
あーよかったってまた動いていたら
ダメージがどんどん残っていって悪くなる時に一氣に来るでしょう。
それならいっそ今倒れた方が身体のためなのでは...
そういう人を目にすると、手を当てるってのもどうなんだろう、と。
本当に身体のことだけ考えたら(ひいては本人のためだと思うからですが)
何ができることなのか、施術しないことができることなのではないか。
このことは自分で忘れないようにしたいと思います。
******************************************
来てくれる人がからだのことにとらわれず、
本当に自分のやりたいことに向かっていけるように。
今止まっている人は動き出せるように。
動けている人は動きを止めないように。
またよりよく動けるように。
その手助けの一つとなり得ればと考えています。
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と書いています。
その人が、今いきやすいようになればと思っていますが、
たまに、ごくたまに、手を当てたくないなと思う人がいます。
これは書くのが非常に勇気がいりますが、
正直に、しょーじきに言ってしまうと
その人の身体のことを思ったら
いっそのこと倒れる方が(本人のためかどうかは置いておいて)
身体のためではないかと思うときです。
身体が動かないようにしているなら、
それは「休んでくれ」と言っているサインだと思います。
もちろん、この日を乗り越えたいとか、
動かないと仕方がないということもあると思います。
そんなときは精一杯手当をさせてもらいます。
けど、変にいじって動けるようになったから、
あーよかったってまた動いていたら
ダメージがどんどん残っていって悪くなる時に一氣に来るでしょう。
それならいっそ今倒れた方が身体のためなのでは...
そういう人を目にすると、手を当てるってのもどうなんだろう、と。
本当に身体のことだけ考えたら(ひいては本人のためだと思うからですが)
何ができることなのか、施術しないことができることなのではないか。
このことは自分で忘れないようにしたいと思います。
2016年2月23日火曜日
こころとからだは別のもの
東洋医学では心身一如と言うことで、
こころとからだを一体のものと考えています。
もちろん僕もそう言ってきましたし、
こころの状態がからだに出るし、
からだを変えることでこころの状態を戻す
ということができると考えています。
そういう部分は当然心身一如でいいと思います。
ただ、ですね、そうは言うものの、
からだは自分のために必死に無意識でも働いてくれていると思うと、
ただただ一緒と考えていいものかとも思います。
僕は胃腸が弱いのですが、
似たような方に見つけていただけるのか、
来られる方も胃腸が...という方が多いです。
僕は元々お腹が弱いのによく食べ過ぎてしまうことがありますが、
そういう時に感謝を伝えます。お腹に。
お腹に手を当てて、いつもありがとう、と。
そうすると、うまく言えませんが、何か変わるような氣がします。
お腹が動いてくれるのか、意識が変わって
次の食べる機会に食べ方が変わるのか。
食べ過ぎなかったり、ゆっくり食べたり、
脂っこいものはやめておこうか、とか何か変わる氣がします。
そして自分という一番身近な「人」に感謝ができることで
次に身近な家族、親せき、友人、もちろんその他の人へと
感謝の輪のようなものが広がっていく、そんな氣がしています。
こころとからだを一体のものと考えています。
もちろん僕もそう言ってきましたし、
こころの状態がからだに出るし、
からだを変えることでこころの状態を戻す
ということができると考えています。
そういう部分は当然心身一如でいいと思います。
ただ、ですね、そうは言うものの、
からだは自分のために必死に無意識でも働いてくれていると思うと、
ただただ一緒と考えていいものかとも思います。
僕は胃腸が弱いのですが、
似たような方に見つけていただけるのか、
来られる方も胃腸が...という方が多いです。
僕は元々お腹が弱いのによく食べ過ぎてしまうことがありますが、
そういう時に感謝を伝えます。お腹に。
お腹に手を当てて、いつもありがとう、と。
そうすると、うまく言えませんが、何か変わるような氣がします。
お腹が動いてくれるのか、意識が変わって
次の食べる機会に食べ方が変わるのか。
食べ過ぎなかったり、ゆっくり食べたり、
脂っこいものはやめておこうか、とか何か変わる氣がします。
そして自分という一番身近な「人」に感謝ができることで
次に身近な家族、親せき、友人、もちろんその他の人へと
感謝の輪のようなものが広がっていく、そんな氣がしています。
2016年2月22日月曜日
わかる
昨日、人のからだについて(人そのものでもいいのですが)、
あらためてわかったことがあります。
ことばにして書くとわかりにくいかもしれませんが、
からだのことを
わかろう、わかろうとすると、どんどんわからなくなり、
よくわからないなぁ、とおもうと、それがいちばんわかっている
ということです。
突き詰めていった先に、わからなかったが来ると
とてもしんどいと思います。
そこをもっと救えるようになりたいなと思っています。
あらためてわかったことがあります。
ことばにして書くとわかりにくいかもしれませんが、
からだのことを
わかろう、わかろうとすると、どんどんわからなくなり、
よくわからないなぁ、とおもうと、それがいちばんわかっている
ということです。
突き詰めていった先に、わからなかったが来ると
とてもしんどいと思います。
そこをもっと救えるようになりたいなと思っています。
2016年2月19日金曜日
続お金について
施術をしていたから、お金の流れが今のままでは止まってしまうのが
明らかだったから、前回の「お金について」と言う記事を書いた。
けどよくよく考えると、元々どうも自分でお金を作り出すとか、
増やすということが苦手なように思う。
まぁ多くの人がそう思っているかもしれないけど。
そこに施術をしはじめたものだから、完全に行き詰まったという感じ。
じゃあ施術の料金を上げればいいかと言うと、
今以上に上げてしまうと、届けたい人にも届かなると思うし、
当たり前すぎるけど手を抜いて何回も来てもらう、なんてできない。
だから余計に、できる人が出来ることをやればいいと思ったし、
そのことがお互いを認めることになると思う。
お金があるのに不幸せな人の話が本当か嘘かあるようだけど
そういうことがなくなるんじゃないかと思う。
みんな自分自身の深いところにつながることで
「僕はお金を稼ぐのが得意だから、お金を稼ぐ」、
「僕はお金を稼ぐのは苦手だけど、手当てはできる」、
ということができるようになると、
本当にお金が循環していく社会になるように思う。
あなたは、あなた自身ができることをすればいい、と
みんながそう言える氣がする。
その人自身が本当に何をするべきかをわかっていったら、
お互いに支え合える。 だから、みんなが必要で、
みんなが本当にやりたいことは無駄じゃないし、間違っていない。
それが一億総活躍ってことじゃないの?違うの?
不安にならずに、みんな生きていて欲しいなぁと思う。
あなたがいないと、僕は生きていけない。
あなたがいるだけで、僕は嬉しい。
明らかだったから、前回の「お金について」と言う記事を書いた。
けどよくよく考えると、元々どうも自分でお金を作り出すとか、
増やすということが苦手なように思う。
まぁ多くの人がそう思っているかもしれないけど。
そこに施術をしはじめたものだから、完全に行き詰まったという感じ。
じゃあ施術の料金を上げればいいかと言うと、
今以上に上げてしまうと、届けたい人にも届かなると思うし、
当たり前すぎるけど手を抜いて何回も来てもらう、なんてできない。
だから余計に、できる人が出来ることをやればいいと思ったし、
そのことがお互いを認めることになると思う。
お金があるのに不幸せな人の話が本当か嘘かあるようだけど
そういうことがなくなるんじゃないかと思う。
みんな自分自身の深いところにつながることで
「僕はお金を稼ぐのが得意だから、お金を稼ぐ」、
「僕はお金を稼ぐのは苦手だけど、手当てはできる」、
ということができるようになると、
本当にお金が循環していく社会になるように思う。
あなたは、あなた自身ができることをすればいい、と
みんながそう言える氣がする。
その人自身が本当に何をするべきかをわかっていったら、
お互いに支え合える。 だから、みんなが必要で、
みんなが本当にやりたいことは無駄じゃないし、間違っていない。
それが一億総活躍ってことじゃないの?違うの?
不安にならずに、みんな生きていて欲しいなぁと思う。
あなたがいないと、僕は生きていけない。
あなたがいるだけで、僕は嬉しい。
2016年2月18日木曜日
お金について
お金だけは、なぜか特別なんだよね。
**********************************************
例えば、農家の人が野菜が余ったからと言って持ってきてくれる。
ありがとうと言って、野菜をもらう。
隣のおばあちゃんが一人暮らしだから、
もらった野菜を料理して持って行ってあげる。
すごくいい循環だと思う。
**********************************************
施術をすることで、ざっくり言うと下のような変化を
僕の方では期待して施術をしている。
施術をする→何らかの癒し・変化がある→
日常が過ごしやすくなる→施術を受けなくてもよくなる
もちろん、受ける人によって期待するものは違うと思う。
施術をする人として、一つの目指すところに
「僕のところに来なくなっても大丈夫になるといいな」と言うことが大きい。
この考えを持っている限り、
施術をして目指すところに行くほど収入が少なくなって自分が苦しむ、
と言う状態があらわれる。
嬉しい状況なのに、苦しい。困る。
なんだ、これは。
そこで、お金に対する見方が変わった。
お金も野菜と同じように、余分に持っている人が分けてくれると言ったら
ありがたくいただけるようにしよう。
そうしたら、料理を作っておばあちゃんに持っていく代わりに
僕は施術ができる。施術をし続けられる。
あなたからいただいたお金があるから、
他の人に施術を続けられます、そう言える。
もう収入に関しての考えが行き詰まっていたので
お金のことを考えなくてよくなると本当に楽だ。
これからもよい施術を続けていきたい、それだけです。
**********************************************
例えば、農家の人が野菜が余ったからと言って持ってきてくれる。
ありがとうと言って、野菜をもらう。
隣のおばあちゃんが一人暮らしだから、
もらった野菜を料理して持って行ってあげる。
すごくいい循環だと思う。
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施術をすることで、ざっくり言うと下のような変化を
僕の方では期待して施術をしている。
施術をする→何らかの癒し・変化がある→
日常が過ごしやすくなる→施術を受けなくてもよくなる
もちろん、受ける人によって期待するものは違うと思う。
施術をする人として、一つの目指すところに
「僕のところに来なくなっても大丈夫になるといいな」と言うことが大きい。
この考えを持っている限り、
施術をして目指すところに行くほど収入が少なくなって自分が苦しむ、
と言う状態があらわれる。
嬉しい状況なのに、苦しい。困る。
なんだ、これは。
そこで、お金に対する見方が変わった。
お金も野菜と同じように、余分に持っている人が分けてくれると言ったら
ありがたくいただけるようにしよう。
そうしたら、料理を作っておばあちゃんに持っていく代わりに
僕は施術ができる。施術をし続けられる。
あなたからいただいたお金があるから、
他の人に施術を続けられます、そう言える。
もう収入に関しての考えが行き詰まっていたので
お金のことを考えなくてよくなると本当に楽だ。
これからもよい施術を続けていきたい、それだけです。
2016年2月2日火曜日
とりあえずのところとして:ことばは常におもいに足りない
結局、「治す」というのも「メンテナンスする」のも言わないとなると
何をするのかわからない。
「○○をします」と言っちゃっていいかどうか、
イマイチしっくりこない。
けど、今まで施術した中で、
またいつも思っていることとして
下のようなことは思ったりできていたりしていると思うので
言葉にまとめて、一応の自分の紹介文をつくりました。
わかりにくいけど、何かピンと来た方がもしおられたら、
また誰かに紹介したくなったら、ぜひともお知らせください。
**************************************************
来てくれる人がからだのことにとらわれず、
本当に自分のやりたいことに向かっていけるように。
今止まっている人は動き出せるように。
動けている人は動きを止めないように。
またよりよく動けるように。
その手助けの一つとなり得ればと考えています。
少しわかりにくくなってしまいますが、
こんなことに効果がありますとか、
メンテナンスしますとか、
そう言った「こちらからの言葉」では、
その言葉の中でしかご本人が変わらないと思います。
でも、本当はもっといろいろ感じられるし、
自由に「めぐり」という僕を使ってもらえるのではないかと思います。
「自分自身の身体からの声」を受け止める時間になればうれしいです。
その人なりの人生に寄り添っていければと思います。
何をするのかわからない。
「○○をします」と言っちゃっていいかどうか、
イマイチしっくりこない。
けど、今まで施術した中で、
またいつも思っていることとして
下のようなことは思ったりできていたりしていると思うので
言葉にまとめて、一応の自分の紹介文をつくりました。
わかりにくいけど、何かピンと来た方がもしおられたら、
また誰かに紹介したくなったら、ぜひともお知らせください。
**************************************************
来てくれる人がからだのことにとらわれず、
本当に自分のやりたいことに向かっていけるように。
今止まっている人は動き出せるように。
動けている人は動きを止めないように。
またよりよく動けるように。
その手助けの一つとなり得ればと考えています。
少しわかりにくくなってしまいますが、
こんなことに効果がありますとか、
メンテナンスしますとか、
そう言った「こちらからの言葉」では、
その言葉の中でしかご本人が変わらないと思います。
でも、本当はもっといろいろ感じられるし、
自由に「めぐり」という僕を使ってもらえるのではないかと思います。
「自分自身の身体からの声」を受け止める時間になればうれしいです。
その人なりの人生に寄り添っていければと思います。
○○する人になりたくない:ことばは常におもいに足りない
治したいような治したくないようなと言うことは置いておいて、
「治す」と言うことを自分で言えないので、
アピールする点として「メンテナンス」と言うものがある。
最初からあまり「治そう!」と言う氣が少ないというのは前回書いた。
そして、これはとても個人的なことだけど、「メンテナンスをします」という、
僕が「メンテナンスをする立場」になることにもあまり興味がない。
笑ってしまうようなことだけど。
僕はからだのメンテナンスは自分でしている。
特にこの仕事をするようになって、本当にいろいろ調べたり本を読んだりした。
だから、「からだのことって、少しだけ自分に興味を向けたら
今それほど悪くなければ自分で何とかなると思いますよ」と思ってしまっている。
これを書いている2016年2月2日現在で35才だからかもしれない。
結局は自分の弱いところ、からだの特徴やくせを知って、
食事に氣をつけて、運動とかしてより長く健康でいるしかない。
書いていて氣づいたけど、
だから、自分で「メンテナンスをする人です」と宣言したくない。
でもご本人が自分のメンテナンスとして僕の施術を選んでくれるのは
とてもとても嬉しい。
今も毎月施術を楽しみにして来てくれて、
施術の後はとても軽やかになって帰っていく方がいるけど、
その姿を見られると本当にやっていてよかったと思う。
あなたの身体が、自分の一番いい状態に合わせてくれるんだと思う。
僕は少し手を貸しているだけ。
あなた自身があなたの身体の一番の理解者であると思う。
こっちからこんなことをやってますと言うとそれがやりにくくなるんだと思う。
「治す」と言うことを自分で言えないので、
アピールする点として「メンテナンス」と言うものがある。
最初からあまり「治そう!」と言う氣が少ないというのは前回書いた。
そして、これはとても個人的なことだけど、「メンテナンスをします」という、
僕が「メンテナンスをする立場」になることにもあまり興味がない。
笑ってしまうようなことだけど。
僕はからだのメンテナンスは自分でしている。
特にこの仕事をするようになって、本当にいろいろ調べたり本を読んだりした。
だから、「からだのことって、少しだけ自分に興味を向けたら
今それほど悪くなければ自分で何とかなると思いますよ」と思ってしまっている。
これを書いている2016年2月2日現在で35才だからかもしれない。
結局は自分の弱いところ、からだの特徴やくせを知って、
食事に氣をつけて、運動とかしてより長く健康でいるしかない。
書いていて氣づいたけど、
だから、自分で「メンテナンスをする人です」と宣言したくない。
でもご本人が自分のメンテナンスとして僕の施術を選んでくれるのは
とてもとても嬉しい。
今も毎月施術を楽しみにして来てくれて、
施術の後はとても軽やかになって帰っていく方がいるけど、
その姿を見られると本当にやっていてよかったと思う。
あなたの身体が、自分の一番いい状態に合わせてくれるんだと思う。
僕は少し手を貸しているだけ。
あなた自身があなたの身体の一番の理解者であると思う。
こっちからこんなことをやってますと言うとそれがやりにくくなるんだと思う。
治すということ:ことばは常におもいに足りない
「治す」とか「メンテナンスする」とか、
いろいろとからだのことをするときの言葉がある。
僕は「治す」ということは立場上できない。
「治りますよ」とは言えない。
だいたい、「治す」ことってとても微妙なことだとおもう。
最近では腰などのからだの痛みが過去の感情から来ているという見方もある。
ならば、例えば腰の痛みをその時に「治せた」とおもっても、
感情の方をどうにかしないと身体の別の箇所に痛みが出たり
より激しい痛みになることもあると言う。
その場合、「治った」ってどこまでだ、という話だ。
また薬で痛みをやわらげたり、消したりして「治った」と言う場合もある。
よく「ごまかしているだけだろう」と言われる状態。
これはこれで「治った」とする人と「治っていない」と言う人がいると思う。
結局はその人自身が症状に対して責任をとるしかない。
ちょっと痛いところはあるけどへっちゃらなんだよと言う人もいるし、
この痛みは耐えられないから絶対になくなってもらわないと困ると思う人もいる。
僕は結局、薬であっても何であっても
「その人が痛みを忘れて自分のやりたいことができるのであれば
それは選択肢としてアリ」だとおもっている。
その人の人生だし、その人が選択の責任をとるしかない。
悔いだけ残せないようにするしかない。
僕は治りますとは言えない。
治ることを期待して依存されることはやはり違うと思う。
また、「治せる」ということが本人の治癒力を削ぐのではないかと言うことも思う。
だから「よし、治そう!」みたいな氣が少ないとも思う。
そういうインフォメーションをするのは違うかなぁと。
でもやっぱり治したいと思うし、頼られたいとも思う。
治したいと思わないと向上していかないしね。
その辺りなんだよね。難しいのがね。
いろいろとからだのことをするときの言葉がある。
僕は「治す」ということは立場上できない。
「治りますよ」とは言えない。
だいたい、「治す」ことってとても微妙なことだとおもう。
最近では腰などのからだの痛みが過去の感情から来ているという見方もある。
ならば、例えば腰の痛みをその時に「治せた」とおもっても、
感情の方をどうにかしないと身体の別の箇所に痛みが出たり
より激しい痛みになることもあると言う。
その場合、「治った」ってどこまでだ、という話だ。
また薬で痛みをやわらげたり、消したりして「治った」と言う場合もある。
よく「ごまかしているだけだろう」と言われる状態。
これはこれで「治った」とする人と「治っていない」と言う人がいると思う。
結局はその人自身が症状に対して責任をとるしかない。
ちょっと痛いところはあるけどへっちゃらなんだよと言う人もいるし、
この痛みは耐えられないから絶対になくなってもらわないと困ると思う人もいる。
僕は結局、薬であっても何であっても
「その人が痛みを忘れて自分のやりたいことができるのであれば
それは選択肢としてアリ」だとおもっている。
その人の人生だし、その人が選択の責任をとるしかない。
悔いだけ残せないようにするしかない。
僕は治りますとは言えない。
治ることを期待して依存されることはやはり違うと思う。
また、「治せる」ということが本人の治癒力を削ぐのではないかと言うことも思う。
だから「よし、治そう!」みたいな氣が少ないとも思う。
そういうインフォメーションをするのは違うかなぁと。
でもやっぱり治したいと思うし、頼られたいとも思う。
治したいと思わないと向上していかないしね。
その辺りなんだよね。難しいのがね。
収入について:ことばは常におもいに足りない
例えば、「世界が100人の村」だったら。50人でもいい。
その中に「からだのことをする人」、例えば「医者」とか「鍼灸師」とか
「整体師」などが2人ぐらいいたとして。
一時期からだの調子の悪い人が何人かいたけど、
現在は村のみんなが元気でそれなりに体調の管理ができていたら
その「からだのことをする人」はどうやって食べていくんだろうか。
その状態は「からだのことをする人」はとても誇るべきことだし、
本当に喜ぶべきことだとおもう。
ただ今のような資本主義、貨幣経済の中にあって
「からだのことをする」ことだけで収入を得ている場合、
その「からだのことをする人」は
本当に相手の望む状態にしてあげようと思えるのだろうか。
いや、思うとおもうよ。僕もおもってやっています。
「何とか今より少しでも良い状態になってほしい」
「悪くならなくなってほしい」
ただ、収入や生活を誰かのからだの状態に頼りすぎる、
そのことだけはしたくないと思う。
日本だけでも1億数千人いるんだから考えなくてもいいよ、
という話では決してない。
それは「治す」とか「癒す」とか「メンテナンスする」とか
すべてに言えることだと思う。
さらにつっこむと「健康」ってなんだ、とか
「からだが良い状態」「悪い状態」ってなんだにつながる。
その中に「からだのことをする人」、例えば「医者」とか「鍼灸師」とか
「整体師」などが2人ぐらいいたとして。
一時期からだの調子の悪い人が何人かいたけど、
現在は村のみんなが元気でそれなりに体調の管理ができていたら
その「からだのことをする人」はどうやって食べていくんだろうか。
その状態は「からだのことをする人」はとても誇るべきことだし、
本当に喜ぶべきことだとおもう。
ただ今のような資本主義、貨幣経済の中にあって
「からだのことをする」ことだけで収入を得ている場合、
その「からだのことをする人」は
本当に相手の望む状態にしてあげようと思えるのだろうか。
いや、思うとおもうよ。僕もおもってやっています。
「何とか今より少しでも良い状態になってほしい」
「悪くならなくなってほしい」
ただ、収入や生活を誰かのからだの状態に頼りすぎる、
そのことだけはしたくないと思う。
日本だけでも1億数千人いるんだから考えなくてもいいよ、
という話では決してない。
それは「治す」とか「癒す」とか「メンテナンスする」とか
すべてに言えることだと思う。
さらにつっこむと「健康」ってなんだ、とか
「からだが良い状態」「悪い状態」ってなんだにつながる。
2016年2月1日月曜日
ことばは常におもいに足りない
「ことば」は常に「おもい」に足りない。
いろいろなところで、場面で、よく感じてきたこの考えが、
今の「からだのこと」をしているとより感じられる。
自分がやりたいことと、やりたくないこと、
自分がなりたいものと、なりたくないもの。
相反するものが常に同居する現状。
自分でやりはじめて、いろいろ考えて、
仕方なく今の形でいるけれど、
本当のところは隠れている。嘘はついていないけれど。
自分の中にある考えを少しずつでも出していくことで、
自分自身につながる氣がする。
何を考えたっていいじゃない。
そんなところに行ければいいな。
いろいろなところで、場面で、よく感じてきたこの考えが、
今の「からだのこと」をしているとより感じられる。
自分がやりたいことと、やりたくないこと、
自分がなりたいものと、なりたくないもの。
相反するものが常に同居する現状。
自分でやりはじめて、いろいろ考えて、
仕方なく今の形でいるけれど、
本当のところは隠れている。嘘はついていないけれど。
自分の中にある考えを少しずつでも出していくことで、
自分自身につながる氣がする。
何を考えたっていいじゃない。
そんなところに行ければいいな。
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