これまで伝わる言葉というか、整った言葉を使おうとしていたと思う。
でも、ちゃんと整った言葉が伝わるとは限らない。
それはちゃんと整った身体が健康とは限らないのと同じだと思う。
このことを考えるといつも思い出すのは
サッカーのレアル・マドリードで活躍したロベルト・カルロスのことだ。
彼は利き足である左足が以上にでかい。
右足と左足で相当大きさが違ったと記憶している。
どうも整体というと骨盤の歪みを氣にする人が多い。
もちろん骨盤の歪みがいろいろ影響はします。
けど、それと健康であるということは関係ないな、と思う。
ロベカルはおそらく歪んでますよ。それも相当。
昔の職人さんなんかはその職に合った体つきをしていたそうだ。
その身体こそがその人自身なのではないかと思う。
だから歪んでたらいい、というわけではない。
けど歪みを氣にしすぎて、とらわれてしまうのはちょっと違うと思う。
もったいない、という感じかな。
もしかしたら生きにくいかもしれない、整っていないかもしれない身体
それこそが自分自身であると言えるといいと思う。
その上で変えたいなら変えればいい。
完璧に整ったものを求めてずっとそこに焦点が当たっていること
というのは健康なことなんですかね。
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