2016年2月2日火曜日

収入について:ことばは常におもいに足りない

例えば、「世界が100人の村」だったら。50人でもいい。


その中に「からだのことをする人」、例えば「医者」とか「鍼灸師」とか
「整体師」などが2人ぐらいいたとして。

一時期からだの調子の悪い人が何人かいたけど、
現在は村のみんなが元気でそれなりに体調の管理ができていたら
その「からだのことをする人」はどうやって食べていくんだろうか。

その状態は「からだのことをする人」はとても誇るべきことだし、
本当に喜ぶべきことだとおもう。


ただ今のような資本主義、貨幣経済の中にあって
「からだのことをする」ことだけで収入を得ている場合、
その「からだのことをする人」は
本当に相手の望む状態にしてあげようと思えるのだろうか。


いや、思うとおもうよ。僕もおもってやっています。
「何とか今より少しでも良い状態になってほしい」
「悪くならなくなってほしい」


ただ、収入や生活を誰かのからだの状態に頼りすぎる、
そのことだけはしたくないと思う。

日本だけでも1億数千人いるんだから考えなくてもいいよ、
という話では決してない。


それは「治す」とか「癒す」とか「メンテナンスする」とか
すべてに言えることだと思う。

さらにつっこむと「健康」ってなんだ、とか
「からだが良い状態」「悪い状態」ってなんだにつながる。

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